広島のなまたまさんからのおたよりに
「団長が集めている戦前戦後の古きよき時代のうどん文化を披露いただければおねがいします」
とあったのが団長のスイッチを押してしまいました。
団長はつい先日、22時間かけて昭和42年の四国新聞を全部見て、うどんに関する記事を全部コピーしたそうです。
求人広告から「急募!手打ちうどん職人 勤務先は東京浜松町(東京タワーの下) 給料は4万から4万5千円 3食宿舎つき」だそうです。
東京でうどん屋をしている、観音寺出身のこんぴらといううどん屋さんの求人広告でした。
昭和42年には、東京に讃岐うどん屋があったんだという証拠になります。
「東京で働きたい方募集」 勤務地 都内各デパート で 手打ちうどんの実演販売をするそうです。
高松市紺屋町のさぬき食品さんの求人広告だそうです。
エンディング
昭和42年は、うどんに関して香川県はあまり興味が無かったんじゃないかということでした。
素麺や冷麦の話題は多かったそうです。
商品の広告も冷麦の広告が多かったということです
あと、昭和42年6月19日の四国新聞に「ふるさとの味を語る」という土井まさるさんをかこんでの対談をやったという記事があったそうです。
その中で高松女子商業の校長先生が
「正直なところ自慢の郷土料理というのはひとつもありません。昔から讃岐の名物は醤油豆だということになっていますが、これは何か名物を作らないといけないということで作り上げたもので、郷土料理というものではありません」
ということを言っていて、うどんについての話題は出てなかったということです。
そう言えば団長の子どもの頃は、うどんの記憶が無いそうです。
家で食べる麺類といえば素麺が思い出される という事でした。
こうして調べていくと、昔の讃岐うどんについては、うかつにしゃべれんようになった
というところで今週はおしまいです。
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